初めてドイツに行ったのはいつだったか?前回のロシアの次の旅が、確かベルリンだったと思います。あるお箏の先生にお声をかけて頂き、私の他に同級生も2人参加していました。正直どんなイベントでの演奏旅行だったか全く覚えておりませんが、そこで出会ったホストファミリーは今でも私の人生の宝物です。
ベルリン滞在のホテル代は自腹で、、との事、滞在費のない私はホームスティを希望し、約10日間お世話になったのがホイアイス家。ここで旅の神降臨!ラッキーなことにホイアイス夫人は少しだけ日本語を話すことができました。(ここからはホストファミリーのお母さんをイーリス、お父さんをディートリッヒと記します)イーリスは画家、ディートリッヒは建築家、アーティスト一家のご自宅は、三階建で中庭にプールがあり、半地下にはワインセラーとサウナのある、豪邸というよりはセンスの良い一軒家でした。
またラッキーは重なり、大学時代ドイツ語学科で学んだ父が、有給を活かし二週間ドイツを一人旅しており、最終目的地はベルリン、私の演奏を聴こうとベルリンで落ち合う約束でした。私は全くドイツ語を話せませんが、父が通訳のような形で、ホイアイス家に親子で歓迎して頂きました。
初めて玄関を開けた時、ディートリッヒが「ようこそ日本人の女の子で我が家に来たのは幹子が初めてだ!」と抱きしめてくれ、シャンパンを開け、中庭のプールで泳いだのことを今でも忘れられません。確か9月末でしたが、、。ホイアイス夫妻には演奏の合間の短いフリーな時間、たくさんベルリンを案内して頂きました。 ベルリンフィルのコンサートにも、この日は指揮者がダニエル・バレンボイム、燕尾服のボタンが飛んでいってしまうくらいの熱演、オーケストラの音質が明るく、演奏者が微笑みながらその空間を楽しんでいる演奏、気持ちの良い響への感動、つい昨日聴いた演奏会のように私の耳の中に、眼の中に残っております。
ベルリンで私が参加した演奏会はスタッフが少なく、ドイツ語が話せるメンバーがいなかったので、ここでも父が通訳のような形で、当日はコンサート会場で聴くというより、楽器を運ぶ役目になり、裏方としても大いに父がいてくれて助かった思い出です。
旅行後、ホイアイス家とは、イーリスが日本で何度か個展を開催する際お手伝いし、後藤家に泊まってもらったり、私がドイツ5都市で演奏する際に泊めてもらったり、同じくドイツ語学科卒業の私の母も含め、ドイツの両親、私の実の両親4人でドイツやスイスを旅行したり、、家族ぐるみのお付き合いが続いております。ですがディートリッヒはいつも「我が家のファースト後藤は、幹子だ!」と言ってくれていました。
残念ながら8年前に私の父が亡くなりましたが、ドイツの父のディートリッヒも、仲良しだった父を追いかけるように半年後に他界しました。きっと高い空の上で、大好きなワインを飲み交わし、政治の話、趣味の話、熱い談義を繰り返しながら、私のことも見守ってくれているのだと思います。ちなみにイーリスからは、先日の台風の被害を知り、大丈夫ですか?とメールが来ました。またベルリンに、イーリスに会いに行きたい、ドイツの母の作品を眺めると懐かしさが込み上げてきました。
イーリス・ホイアイスの作品と画集、手に持っている写真はディートリッヒとイーリス。
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